「石川はYの通学コースの薬研坂あたりに時おり出没していたし、どうも怪しいと思っていましたが、口ではいえませんでした」, 「事件当時、石川を見た人はかなりいたのです。"どうして届けてくれないのか"と叫びたくなったのもたびたびでした」, 「犯人は土工に違いないと思っています。というのは、死体の埋め方です。ふみ固められた農道を掘りかえし、しかも中に死体を入れておきながら、現場に土が少しももり上がっていない。いったい、このあまった土をどこへ持って行ったか。おそらく土工なら処分するのは簡単だったに違いない。, 「石川の単独犯行といわれるが、私には納得のいかない点もある。Y(被害者)の死体にまかれていた縄はどうなるのか、一人で死体を短時間に隠したり、埋めたりすることができるだろうか。共犯が誰かいて死体を運びやすいよう縄をまきつけたとしか思えない」, 「側番号は、捜査官が品触れを作成するために見本として使用した同種同型の腕時計の側番号を軽率にもそのまま記載したことが証拠上明らか」, 「かえって、関係証拠によると、本件腕時計はY(被害者)と姉Tの二人が互いに使用していたことがあり、その場合、それぞれ違ったバンド穴を使用していたというのであって、本件腕時計のバンドにはその事実を裏付ける形跡が窺える」, 「鴨居の高さや奥行などからみて、必ずしも当然に、捜査官の目に止まる場所ともいえず、捜査官がこの場所を見落すことはありうるような状況の隠匿場所であるともみられる」, 「これらの鑑定書の説くところは、一言にしていえば、不確定な要素を前提として自己の感想ないし意見を記述した点が多く見られ、到底前記三鑑定を批判し得るような専門的な所見とは認め難い」「被告人は、「, 「石川君 何時まで強情張って居るのだい、殺したと言わないか、そうすれば一〇年で出してやるよ、石川君が言わなくても九件も悪い事をしてあるのだしどっちみち一〇年は出られないのだよ…」「石川君 殺したと言って 呉れ 吾は必ず一〇年で出してやるからな」, 「このかみをぜひよんでくださいませ○○○○(被害者の父の氏名)さん私くしわ●●●●(被害者の氏名)さんごろしの石川一夫(ママ)です」, 「●●(被害者の名)さんごろしのつみをぜひいちばんのつみにしてくださいませ この一夫(ママ)はよの中のためにわなりませんからぜひおもくしてください」, 「○○○○(被害者の父の氏名)さん一夫をぜひいちばんのつみにしてください ●●(被害者の名)さんごろしの一夫です ○○○○(被害者の父の氏名)さん」, 「じようぶでいたら一週かに一どツせんこをあげさせてください。六・二十日石川一夫(ママ)入間川」, 「私は必ず人を殺して反省をしないようでは神様が黙ってはおりません 又私はどのような「サバ」きを受けようが決して不服はありません」, 「テレビやラジオ新聞でご存知のとうり(ママ)私は死刑の判決を受けました それも仕方のないこととあきらめておりますが控訴申立の手続だけはしておきました」, 「私は狭山の女子高校生殺しの大罪を犯し三月一一日浦和の裁判所で死刑を言い渡された石川一雄でございます」, 「こういう判決だったけれども十年か十五年たてば出られるから、まだ今二十五で若いし、四十までにはおそくとも出られるから、出たらある人に金をもらう」, 「実は誠に申にくい(ママ)のですが、先日父が面会に来たので日記帳を宅下げしたのです。そしたら、それを中田先生の所へ持っていったらしく、中田先生から手紙が来て、関さんと絶対会ってはいけないと書いてあったのです。しかし私はそんなことなどかまわないでいましたら一昨日父が来て話すには、弁護士さんに言われたと思うが関さんと会ってはいけない、もし隠れて会ったのが解れば面会に来てやらないと言われたのです。私も日記帳に書き入れなければ良かったのにと今ではじだんだしてます。しかし後の祭りですね。また私としては関さんと会って川越に居た頃のことをお話ししたいのですがそんな訳で私の気持をおさっし下さい」, 「私にかわって、内田武文(第一審の裁判長)を綿密にお調べの上、裁判をして、私同様に死刑にしてください」, 「内田武文を絞首台にあげてください。また、長谷部(警視)、関(巡査部長)の両人も死刑にしてもらいます。この二人は、私がでてからやりますから、取り調べにあたった人の写真を全部送ってもらいたいのですが、警察に頼んでみてください」, 「今日は社会党の代議士が会いに来た。面会ではケーキですよ」「今日カンパが300万円届きましてね。これで私の領置金は億を超えました。あなた、出たらぜひ私のところで秘書の仕事をしてください」, "狭山""狭山"っていっくらゆったって(ママ)、とても石川君が、この堕落のザマじゃ奪還できる筈もねえよ。, 石川さんを決して英雄として持ちあげ、権力を弾劾するための道具に仕立てあげることはやめて頂きたい。集会、集会に引き廻すことは、誰よりも石川さんのためにならないと思います。逮捕されるまでの石川さんは普通の青年、というよりも不良少年、いうところのチンピラでありました。獄中生活のなかで目覚め、学力を一歩、一歩高め、立派な文章を書き、短歌をつくる力を養いました。このことは立派です。しかし、だからといって英雄としてたたえるようなことではありません。, 「『石川被告人の自白は完全なものとは言えないが、犯行の基本的部分では、核心に触れる供述をしており、十分信用できる』と弁護側の無罪論を全面否定した」, 「狭山裁判の内容を歴史的、客観的に説明せず、審理再開の内容だけを部分的、主観的に報道しており、社会的に部落問題で差別観念がある中で、否定的な役割を果たすものである」, 「現在の読売新聞社西部本社の差別態度を、真に部落解放を正しく実現しうる本来の新聞社へと根本的に改造し、血の通った報道活動を実現させる。 なお、国語学者の大野晋は、検察側証拠として提出された脅迫状について、東京高裁控訴審と第2次再審請求の2度にわたり筆跡鑑定を行い、脅迫状の筆跡及び文章が逮捕時の石川の稚拙な日本語能力では不可能なものであると分析し、「脅迫状は被告人が書いた物ではないと判断される」と結論づけた[130]。しかし、裁判所は大野晋、磨野久一(京都市教育委員会指導主事)、綾村勝次(書道家)による3鑑定書について, と退けた。 そのためには社の幹部や記者などすべての構成員の遅れた意識を徹底的に粉砕し、正しい解放意識に基づいて考え、発言し、行動するよう、読売新聞社西部本社全構成員の意識改造を完全に図る」, 「やっぱりね、共産党の弁護士の先生じゃ、ちょっと無理だったのね。(略)弟はこんなていどの感覚だから、そういう風に一雄に話してみてください、といっても弁護士は相変わらず、自分たちのむずかしい言葉で、彼らの常識でいっちゃうんですよ。(略)一雄も世間を知らなさすぎたけど、先生たちは一雄を一般のひとと同じように扱っちゃうんですね」, 「「解同」朝田派は、この事件(狭山事件)を頭から「差別裁判」と規定したうえ、これを反共キャンペーンの材料とし、わが党にたいして、共産党は"差別裁判でないと主張、えん罪事件にわい小化した"などのひぼうをおこなっている。これは、「差別裁判」というかれらの独断的な規定をうけ入れないものは、「差別者」だとする立場からの問答無用の議論である。また、わが党中央は、狭山事件について、無実の「えん罪」であると規定したことはなく、この点からいっても、まったく見当ちがいもはなはだしい中傷である」, 「かれら(部落解放同盟)の論法でいくなら、部落住民にかんする事件は、真犯人であろうとなかろうと、すべてが「部落差別」を基礎とする「差別裁判」ということになるのである。しかも、かれらは「差別裁判」だと決めつけることによって「石川青年の即時釈放」を要求し、かれらに同調しないものや、証拠にもとづく公正な裁判を要求してたたかっていた人たちまで「差別裁判」の加担者だと攻撃した。これが、部落住民なら、どんな犯罪をおかしても裁判をうけたり、罰せられたりすべきではないとする、きわめて反社会的な主張であることはあきらかである。, 「狭山事件の犯人を石川被告ときめつけるには、法律には素人であるわたしたちにさえ、断定的な証拠をつかむことはできない。かといって、石川被告が完全に無実であるとする明白なアリバイは、一審いらい、石川被告の無実をあきらかにするために献身してきた弁護士によっても、つきとめることができなかったからだ。わたしたちは、今日でも、最高裁が事件の真実を公正な裁判をつうじてあきらかにしなければならない。たとえ、あきらかにならなかったとしても、犯人であるか、どうか、疑わしいばあいは罰するべきでない、という立場にたっている」, 「献身的な弁護士らが「石川は犯人ではない」と主張しましたが、石川本人が「自白」を維持したことから一審は敗訴。弁護士解任は、「解同」などが狭山事件を「差別裁判」と規定し「日共系排除」という, 「『解同』が全国各地で『狭山闘争』を踏み絵にして行政から多額の補助金を取り、その動員力の財源にしているとき、それがすべて違法であり、支出した責任者も受取った『解同』員も返還する義務があるとしたこの判決は、『解同』迎合の自治体への警鐘となるもの」, 「私ども日本人としては、過去における日本と朝鮮との不幸な歴史に目をおおうことはできません。李少年の事件は、この不幸な歴史と深いつながりのある問題であります。この事件を通して、私たちは、日本人と朝鮮人とのあいだの傷の深さを知り、日本人としての責任を考えたいと思います。したがって、この事件の審理については、とくに慎重な扱いを望みたいのであります」, 「これまで、日本人は朝鮮人に大きな罪をおかしてきました。その大きな罪を考えると娘がこうなったからといって、恨む筋あいはありません。もしも珍宇君が減刑になって出所したら、うちの会社にひきとりましょう」, 俺は関さん、Yちゃんは殺さないんだ。手紙を書いたのは俺で持って行ったのも俺なんだ。シャベルを盗んだのは俺なんだ。おまんこしたのは入間川の友達で、殺したのは入曽の友達なんだ。, 「石川が家へ来てから字を書く所は見ておりませんし,石川の書いたものも見たことはないが,家へ来たとき,青インクの小瓶を箱に入ったまま持っていたし,万年筆も持っていて,1回石川とジョンソン基地へ残飯上げに行ったとき,入門証を書くとき,石川から万年筆を借りて書いたことはあったが,石川がボールペンを持っているかどうかは知りません」(I養豚場経営者の検察供述調書。1963年6月8日), 「男好きの淫奔な女性で死亡まで肉体関係をしていたという色男が十人位いた」「被害者●●●●は(中略)体格は一人前の女に成長し、性格は死ぬまで○○○○をしていた○○が十人もいたという多情多感、○○な母に似て中学一年生位の時から既に男性に積極的で」, 捜査に直接タッチしたものとして、事実関係については絶対の自信を持っていた。上告棄却は当然の結果だと思う。むしろ、死刑だった一審判決が二審で無期懲役にされたのが意外だった。この事件は、はじめ警察の失態が続き、地検としてよほどの確信がなければ、事件を引き受けないつもりだった。警察の失態をこちらがかぶることはないですからね。それがある段階から「間違いない」という心証を得たわけです。差別問題と関係ないことは記録を見てもらえればわかります。いろいろいっているのは事件を知らない人たちですよ。, 「現場近くに住む犯人らしい男が自殺したというような情報に対して、篠田国家公安委員長は、こんな悪質な犯人は何としても生きたままふんづかまえてやらなければと歯ぎしりをしたと、これは埼玉新聞の五月七日の記事でありますけれども、こういうふうに言っている事実があります。こういうことで、結局、****(被害者宅の元使用人)の自殺の背景や要因を十二分に捜査せずに、生きたまま逮捕するというところに全力を尽くしたという辺に問題があるのじゃないかというような点が一点あるわけです」, 「**という人が自殺をした。これについて何も調べないでやったというふうなお話でございますけれども、これにつきましては、当時の記録を見てみますとかなり調べております。それでこの事件に**は関係がないということの結論を出しているわけでございます。これは全然ほったらかして、単なる見込み捜査で石川に行ったということでは絶対にございません」, 中核派は「狭山差別裁判を徹底糾弾し、石川一雄氏の戦いを支援する全国連絡会」(略称、狭支連)と称する団体を組織し、機関紙『狭支連新聞』を刊行していた, 石川の小学校時代の元同級生たちの家を訪ね歩いた本田豊は、石川以外にも卒業生名簿に名前の載っていない生徒が何人かいたことを指摘し、「1955(昭和30)年前後2年間の『朝日新聞』や『毎日新聞』の埼玉版を見ていると、長欠・不就学児童の記事がよく出てくる。家が貧乏のために昔ながらの『口べらし』に、他家へ前借金で身売りする子供が後を絶たなかった現実が紙面をかざっている」と述べている, 被害者の家は、家屋5棟、宅地1反3畝、畑2町3反、山林1町3反、土地1万1190坪を所有する地主であった, 脅迫状は一度封印してから犯人に開封された跡があり、封筒の宛名書きもまた青色のボールペンで書かれていた, この「きなかったら」は狭山の土地言葉の一つ。狭山付近で育った伊吹隼人によると、狭山から通う農家や職人・労務者の息子などの大半が「こなかったら」を「きなかったら」と言い、作文の際にも「こなかったら」を「きなかったら」「きなかたら」などと書いていたという, 養豚場の経営者の末弟は強姦の前科を持っていた上、養豚場の近隣者で、養豚場に出入りしていた男もまた強姦の前科持ちであった。狭山事件二審第16回公判調書によると、石川一雄の兄も「みんなIのところの若い者がね、人を脅迫したり結局は暴力を振ったりするという」ので、一雄に「(I養豚場を)やめるように」言って退職させ、自分のもとで鳶の手伝いをさせた、という。, 当初、被害者の遺体から検出されたのは「B型あるいはO型」の血液だったと報じられていた(『読売新聞』1963年5月22日付、p.10)。, この処女膜の亀裂について、下田雄一郎『史上最大のミステリーを推理せよ!狭山事件』p.154のように「亀裂が基部に達していることから『過剰な運動や手淫、生理用具の挿入』の場合とは異なるとされた。つまり性体験があったと推測された」とする資料もある。, このIKは、1963年5月15日、『埼玉新聞』に「きょうにも逮捕か 女高生殺し堀兼の青年A」と報じられたが、事件当日のアリバイがあった上、血液型もBではなかったので女高生殺しでは逮捕されなかった(ただし1963年6月4日に窃盗容疑で後述TAとともに逮捕されている), 女高生殺しについて検察官の河本仁之は、石川一雄の兄、K兄弟のひとりであるKY、K兄弟のもうひとりであるKIの3人による犯行ではないかと疑っていたことがある, ある事件のため裁判費用に困っており家計も苦しかったこと、筆跡が脅迫状に酷似していたとされること、アリバイが不確かだったこと、犯人と声が似ていたとされること、犯行現場や佐野屋に地の利を得ていること、土木工事に雇われることが多く地下足袋をよく使っていたことが疑惑の根拠となった, 狭山事件弁護団・部落解放同盟中央本部『石川一雄 獄中日記』p.73では「昭和29年頃、入曽~入間川間で起った電車転覆未遂事件の容疑者として逮捕されたことがあり、この妨害事件が起った時、父と私は花嫁女学校(通称山学校)で働いてい、雇い主のTさんが証明してくれたから犯人にされずに済んだ」と述べている。山学校とは「山の学校」「お山の学校」とも呼ばれ、狭山市大字入間川沢台に所在。事件当時, 「6月23日には単独犯行を自白」というのは部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部編『無実の獄25年 狭山事件写真集』p.126(解放出版社、1988年)による。しかし、部落解放同盟中央本部『狭山差別裁判 第3版』(部落解放同盟中央出版部、1972年)p.312では、単独犯行の自白は6月26日になされたことになっており、両書の記述には矛盾がある。, 石川は当初、虚偽のアリバイの拠り所として兄を使っていたにもかかわらず、「兄が犯人ではないかと思った」と述べ、「一家の大黒柱である兄が逮捕されたら大変なことになると思い、自分が罪をかぶることにした」, これについて石川は「私がIさん方に仕事をして居る頃は土、日曜日以外は五時頃上げてきた事は一度もありませんでしたがこの日はこの様な時間に来たので私は今ではヘンに思われて成りません」と荻原佑介あて書簡(1965年11月22日)に記している。 狭山事件弁護団・部落解放同盟中央本部『石川一雄 獄中日記』p.230による。, 石川一雄は2013年に「事件が起きた時間帯には両親と妹2人と弟と6人でご飯を食べていた」と主張しているが, 当時、被害者宅やその所在地を尋ねたとされる近隣農家には表札はなく、石川自身は2008年5月のインタビューで「脅迫状届けに行くのに、被害者の自転車に乗って近所の家で尋ねること自体が変でしょう。そこがもし、被害者の家だったらどうするんですか? どうも!ジョナサン(Twitter:@Johnathan_cbf)です! 今回の記事では、双極性障害の人の約50%がADHDを合併症として持っていることに関して書こうと思います。 自己紹介をさせてください。現在30歳の男性で、双極性障害の治療中のため無職です。東京育ちで、過去会社員をやっていました。 公然わいせつ被疑者の逮捕(鈴鹿署) 11月12日夜遅く、鈴鹿市白子駅前において、駅に停車中の電車内で、自己の陰茎を露出するなど公然とわいせつな行為をしたとして、同日、男(51歳)を逮捕した。 2020年11月13日. 石川逮捕の当時の心境を、被害者の長兄は, と述懐した。石川逮捕の2~3日前(5月20日頃)から石川が犯人に間違いないという信念を強くしていたという[105]。石川は、養豚場勤務の頃に被害者宅の近くで盗みの下見などを行っていたこともある[57]。, 警察は20日以上にわたって取り調べを行ったが石川は自白をしなかった。この間、6月9日には、佐野屋付近の茶畑に残された地下足袋の足跡と、石川宅から押収された地下足袋の大きさや特徴が、完全に一致することが確認された[107]。石川は「この地下足袋は兄のもので、自分には小さすぎて履けない」と言っていたが、捜査本部で石川に履かせたところ、無理をせずに履けることが判明した[107]。石川が事件の前後この地下足袋を履いて仕事をしていた事実も突き止められた[107]。, 6月13日に窃盗・暴行・恐喝未遂などの容疑で起訴された後、弁護士の保釈の申請が認められて6月17日に釈放されることになったが、釈放直後に警察は、強盗・強姦・殺人・死体遺棄容疑で再逮捕した。, 再逮捕された石川は、養豚場の元同僚たち2人が被害者を強姦・殺害した、ただし自分は脅迫状を書いて届けて死体埋葬用のスコップを盗んだだけである、という自白(3人共犯説)を6月20日に行った[注釈 25]。共犯の存在を匂わせるのは犯罪者が自らの責任を軽くする意図でしばしば行うこととされており、雅樹ちゃん誘拐殺人事件の犯人も最初は共犯がいるような主張をしたという[108]。, さらに、6月21日には石川が描いた少女のカバンを捨てた場所の地図に基づいてカバンが発見された。6月23日には単独犯行を自白した[注釈 26]。6月26日には自供に基づいて自宅から万年筆が発見された。さらに、7月2日、石川の自供に基づいて腕時計を捨てたとされる場所の付近から、時計が発見された。石川の自宅から発見されたノートのページの切り口が、脅迫状の紙面の切り口と一致するとも報じられた[109]。, 石川はI養豚場で働いていた頃から被害者とは顔見知りだった[73]。そのため、気安く冗談をとばして被害者をからかったが無視されたため逆上して犯行に及んだ、というのが当時の自供であった[73]。, 松本清張は「石川の自供からカバンが出てきた以上、犯人と断定してさしつかえないだろう」とコメントし、村岡花子は「捜査陣の長い間のネバリと自信の勝利」と称えた[105]。, 逮捕される前の石川は、警察による事情聴取に対し、事件当日の行動を以下のように語っていた[112][113]。, 石川の逮捕後、1963年5月25日の段階でも石川の親類や友人は「一雄は事件当日、屋根の修理に行っていた」と嘘をついていた[114]。しかし、後にこの申し立ては家族や親類や友人と口裏を合わせた上での嘘であることが露見した[115][注釈 27]。, 死刑判決後、自供を撤回してふたたび無罪主張に転じてからは、事件当日の行動はこうだったと主張し始めた[121]。, しかし無罪主張に転じてからのアリバイは家族の証言以外の裏付けがなく、遊園地でもパチンコ屋でも小学校でも荷小屋でも石川の姿は目撃されておらず、もともと家族と口裏を合わせてアリバイを偽っていた経緯もあり、裁判では事実と認定されていない。東京高裁判決における「石川うそつき論」[注釈 30]を非難している狭山弁護団の松本健男も、アリバイをめぐる石川の虚言については争っていない[124]。, カバン、万年筆、腕時計が石川の自供により発見されたことは、犯人しか知り得ない物証として各判決の決め手となった。そのため三大物証と呼ばれている。しかし、下記の点を根拠に冤罪説を主張する者もいる。, と述べ、発見された腕時計が被害者やその姉の使用品であることは間違いないとしている。, なお、1976年秋の証拠開示の結果、この品触れに載っていた側番号は確かに見本の時計のものであることが確認され、これにより「発見された時計は被害者のものではない」という弁護側上告趣意書の主張は誤りであることが判明した[125]。このことは「弁護側や、石川一雄の無実を信じて支援活動を続けている人びとにもショックを与え」た、とされる[126]。, と述べ、被害者または石川がペン習字の授業の後、インクを詰め替えた可能性を認定した。, この点につき最高裁は、脅迫状の筆跡や用字上の特徴と石川の特徴を比べた上で、両者の特徴は同一であると結論づけた。識字能力について石川自身は, と自称していたが、裁判所は、石川が14歳の時に3ヶ月間ひらがなや漢字を習っていたこと、顧客の氏名を漢字で書きこなしていたこと、報知新聞の競輪予想欄や読売新聞を読む力があったこと、友人から交通法規の本と自動車構造の本を借りて読んでいたこと[注釈 32]などを挙げて「他の補助手段を借りて下書きや練習をすれば、作成することが困難な文章ではない」と認定した。これに対し、狭山弁護団の松本健男は「常識的な判断過程では、石川は当時漢字が書けなかった、したがって漢字を多用した脅迫状を書くことはできないとすべきところを、判決は、確かに石川は逮捕後書いた説明文には漢字をまったく用いていないが、手本の『リボン』(ママ)をみて書いた脅迫状には漢字が多用されている、これは石川が本を見て漢字を練習して書いたからだというのである」[129]と非難しているが、そもそも裁判所は「被告人は教育程度が低く、逮捕された後に作成した図面に記載した説明文を見ても誤りが多いうえ漢字も余り知らない」[95]と述べているだけで、「石川は逮捕後書いた説明文には漢字をまったく用いていない」などと認定した事実は存在しない。

24時間テレビ Akb48 ダウン症 19, 昼顔 乃里子 嫌い 5, My Inspiration 意味 6, ポンタ んほー なんj 19, 前田 大 然 吉本 6, メイプル 虎影 育成 39, 菱華 相模原 メニュー 4, 通常 普段 類語 5, マイクラ うさぎ ボート 6, ヴェポライザー シャグ 加湿 12, セコム 年収 低い 5, 島村楽器 本社 クレーム 5, 伊藤塾 予備試験 合格体験記 44, 嵐 大宮sk 歌詞 4, グラクロ キング 最強 5, 足太い ズボン レディース 4, Autocad 表示順序 固定 14, 金魚 酸素なし 何時間 54, 筋トレ ルーティン 1週間 8, 大阪産業大学 野球部 部 費 7, モササウルス インド ミナス レックス 4, Chemical Secret 和訳 34, アギト 最終回 レストラン 4, 秋田 Zenさん はんこ 7, Gatti サラ 年齢 7, ヘルメット シールド メラミンスポンジ 6, Jr 西日本 車掌区 4, ジル 名前 由来 6, 村瀬歩 石川界人 仲良し 14,